
雑用の効用
例え誰が見ても地味な仕事で雑用だと思われることでも、丁寧に一生懸命する姿は美しい。
そこから、それがその人の得意技になり、その分野で自分の存在価値を発揮するようになると不思議なことに自然と他の分野にも波及していくものだ。
周囲の目もあの人になら何を任せても大丈夫だとうつり、自然と次の新たな存在価値発揮のチャンスに恵まれる。
雑用という小さな仕事でその人の心の姿勢や生き方まで証明される。
何でも合理化の時代でも、不思議なことに合理化に伴って雑用も増えているような気がする。
そういった雑用の多様化はニーズの多様化でもある。
それらの雑用をニーズに転換することで、商品開発や生産性向上等さまざまなチャンスにつながる。
そういう意味でも、雑用はあなどれない。
昨今のAI化で、単純な手順で構成される仕事はロボットに任せることも可能だ。
仕事をロボットに奪われたと捉えるのか、ロボットにお任せして自分は違う分野で創造的な業務をする機会が得られたと捉えるのかでその人の成長ぶりは違ってくる。
むしろ、関わる仕事を生産的に単純化してロボットが同じ結果がだせる設計を考える方が楽しそうな気がする。
ロボットの同僚とコミュニケーションをしながら楽しく仕事をしてみたいな。