
歴史を動かす行動理論 北条政子(ほうじょうまさこ)を推察する 鎌倉政権を守り続けた彼女の行動理論
行動理論-それは、人の行動を方向づけているその人なりの信念のこと。 我々は、仕事をしている中で、常に自分なりに行動を選択している。 その選択が、正しいこともあれば、失敗することもある。
歴史上の人物もまたしかり。
その時々の行動の選択で、歴史が大きく動いてきた。
何を考え、どう判断し、どのような行動を選択したのか。 戦国時代や幕末の偉人たちの行動理論をひも解いてみよう。現代の我々に共通するものが見つかるかもしれない。
目次[非表示]
- 1.情愛の人
- 2.「尼御台」の行動理論
- 3.決断と行動の女性
- 4.「尼将軍」の決意
強さと嫉妬深さを併せ持つ「強い女性」の印象が強い頼朝の妻、北条政子。
伊豆で勢力を誇っていた北条時政の娘であり、伊豆に流されていた源頼朝の妻となり、頼朝の死後も鎌倉政権を守り続けた彼女の行動理論はどのようなものであったのか、考えてみたい。
情愛の人
1186年、頼朝と対立した義経の愛妾、静御前が捕らえられ、鎌倉へ送られた。
白拍子(しらびょうし)の名手である静に頼朝は舞を所望するが、静は首を縦に振らない。その際に説得し、舞を行わせたのは政子である。
政子の説得を受けた静は白拍子を舞うも、「吉野山峰の白雪ふみわけで、入りにし人の跡ぞ恋しき。しづやしづしずのをたまきをくり返し、昔を今になすよしもがな」と義経を慕う歌を詠うのであった。
激しい怒りをあらわにする頼朝に対し、政子は頼朝と自身とのなれ初めやかつての不安の日々を語り、「静御前の憂いの心は、あの頃の政子の心と同じもの。義経殿の多年の想いを受けて、恋慕し続けるからこそのものである」ととりなすのである。政子は己の情愛だけではなく、人の情愛を解する心を持った女性であった。
「尼御台」の行動理論
源頼朝の正妻であり、「尼将軍」 として知られる北条政子。その強さは最愛の頼朝の残した幕府を守り、 日本を発展に導くためのものであったのではないか。
頼朝が征夷大将軍となり、鎌倉幕府を聞いて実権を手に入れると、政子は御台所として頼朝を支える。2男2女の子どもにも恵まれた。
頼朝により政権運営はまさにこれからという1199年、頼朝は落馬が元で命を落とす。
最愛の頼朝の死により、政子は仏門へと入り、「尼御台」(あまみだい)と呼ばれるようになる。
以降、政子の想いと力は頼朝が遺した幕府を発展させることだけに注がれることとなる。
政子の中にあるのは「私の使命は頼朝殿が残した幕府の発展である(観)。故に、あらゆる手段を尽くして、幕府発展を図らなければ(因)、生きる意味はない(果)。頼朝殿の想いを実現せよ(心得モデル)」という行動理論であったに違いない。
決断と行動の女性
頼朝の死後、将軍職を継いだのは 長男の頼家である。しかし政子は「将軍としての器ではない」と判断する。彼女は頼家を更迭し、次男の実朝を将軍に据えるという行動を示す。
同時に「政治力が未熟な実朝では幕政は支えられない」と考えていた政子は、父の北条時政を執権とする。政治の実権を執権が握る「執権政治」という体制を確立し、幕府を守ろうとするのである。
しかし時代はまだまだ平安の世ではない。何らかの権力を手にした人間は、その権力をより大きくより確実なものにしようとする。時政は己の権力欲に基づいて、自分の妻との子を将軍にしようと画策を始める。
政子はこれを断じて許さず、実父である時政を執権から引退させるのである。
その後、執権は政子の弟である北条義時、義時の息子の泰時が担うこととなり、幕府の政権は落ち着きを見せる。
これらのすべては先の行動理論が彼女を突き動かしているのである。
「尼将軍」の決意
しかしながら、平安の時期はわずかしか続かず、1221年、後烏羽上皇が政治の実権を天皇へ取り戻すべく、義時を討つ命を出し、承久の乱を起こすのである。
東国武士たちは天皇の権勢を恐れ、朝廷側になびくものまで出始めた。
政子はここでも、頼朝への想いを元に敢然と行動する。
「あなた方は頼朝殿の御恩を忘れたか。幕府成立がなければあなた方は領土も身分も認めてもらえなかった。頼朝殿が政権を握ったからこそ、あなた方の今があろう。恩を忘れ、以前と同じ生活をしたいならば、朝廷に付くもよい。御恩と奉公を忘れたものは出てゆくがよい」と断ずるのである。東国武士たちは、魂を揺さぶられ己の弱さを恥じたという。
さらに政子は泰時に対し、京都で戦を起こす指示を出す。
「執権自らが、京に対して敢然と立ち向かうからこそ、皆がついていく」という読み通り、出立時わずか18騎であった泰時軍は、京に入る頃には19万にまで達した。後烏羽上皇は負けを悟り、以降幕府は安定を迎える。
この戦いを実質的に勝利に導いたのは、「尼将軍」と呼ばれた政子の決断力と行動力、その奥にある頼朝への想いからつくり出された行動理論であった。
政子は政治的判断力や決断力、論理性に優れ、一切の私心も持たず戦略家的能力も長けていたようである。
そしてその背景には、絶対的信念が横たわっており、それが故に人々はその判断に従ったのである。
(おわり)
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